ユネスコ本部の主なみどころ
ユネスコ本部の主なみどころ
ユネスコ本部庁舎は、3名の建築家(Marcel Breuer(米国)、Pier-Luigi Nervi(イタリア)、Bernard Zehrfuss(仏))のデザインにより、1958年に完成しました。敷地の周辺には、今も現存する陸軍士官学校(Ecole militaire)、廃兵院(Les Invalides)の他、かつて練兵場だったシャン・ド・マルス公園(エッフェル塔前の長方形の公園)があり、ユネスコ本部の敷地も、かつてはルイ15世の騎兵隊の兵舎だったといわれています。
パリの近代的公共建築としては最初に建造されたもので、有名なポンピドゥー・センター(国立近代美術館:1977年開館)より古い歴史を誇ります。本部内には、世界各国の著名な芸術家の作品が点在しており、見どころが多くあります。
●日本庭園
日系アメリカ人イサム・ノグチ氏(1904-1988:父は日本人、母はアメリカ人)の作。日本政府の寄付により1958年に建設されました。総面積1,700平米の敷地の中に、建設当時日本から持ち込まれた桜、梅、椿、竹などの樹木、80トンもの大小の庭石、小川、池、橋、季節の花々が配置され、自然と人類の調和を表現しています。作庭には、京都の16代目佐野藤右衛門氏、徳島県の鈴江基倫氏、京都の野口信一氏らの造園家が関与しました。毎年春には桜が満開となります。正式名は、「平和の庭(Garden of Peace )」で、通称日本庭園とよばれます。
入り口部分の滝は、岩に刻まれた模様が水に映ると「和」という字に見えるため、「和の滝」と呼ばれます(「和」の古文字をアレンジ)。
2000年に行われた修復工事や2024年の庭園内「和の滝」修復工事に続き、2025年9月には、日本政府による支援のもと、一般社団法人日本造園組合連合の日本庭園技術者が日本から派遣され、本来の庭園の構成や植栽を蘇らせる工事が行われました。
●瞑想の空間
日本の建築家安藤忠雄氏(1941-)の作品で、日本の民間からの寄付金(当時5百万フランスフラン)により1995年に建築されました。日本庭園の横にあり、33平米のコンクリートの円筒状の構造をしています。中は空洞になっており、床に使用されている御影石は、1945年8月6日の広島原爆で被爆した原爆ドーム近くの橋のものです。
●長崎の天使
日本庭園内に、高さ40センチメートルの天使の頭像があります。これは、元々、長崎の浦上天主堂の正面にあったもので、1945年8月9日の長崎への原子爆弾の被害を奇跡的に免れたものです。1976年、ユネスコの30周年を記念して長崎市より寄贈されました。
●寛容の広場
1995年11月4日に暗殺されたイスラエル元首相ラビン氏(1995年にノーベル平和賞受賞)に敬意を表し、イスラエル政府の寄贈により1996年にイスラエル人キャラヴァン氏の手によりつくられました。ユネスコ憲章前文の有名な書き出し(「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」)が10の異なる言語で彫り込まれた石碑と、オリーヴの木が配置されています。
●第一会議場
ユネスコ内最大の会議場で、座席数1,350席。2年に1回開催される総会の主会議場となる他、セミナー、シンポジウム、音楽・演劇等の文化事業など、様々な目的に使用されています。1974年に凱旋門近くのパレ・ド・コングレ国際会議場が出来るまではパリで最大の会議場でした。
●イカロスの墜落
パブロ・ピカソ氏の1958年作の壁画。第一会議場前のホールの80平米の壁全面を覆う40枚のパネルから構成されます。ピカソによれば、泳いでいる人々をモチーフにしたとのことです。壁画の前方上部に太い梁があり、鑑賞の邪魔となるためか、ピカソは壁画の場所が気に入らず、壁画には署名しなかったと言われています。