政府間海洋学委員会とその活動 ユネスコ政府間海洋学委員会議長 道田教授寄稿
令和6年3月8日

政府間海洋学委員会(IOC*)とその活動
*Intergovernmental Oceanographic Commission
*Intergovernmental Oceanographic Commission
ユネスコ政府間海洋学委員会議長
道田 豊
(東京大学大気海洋研究所教授)
道田 豊
(東京大学大気海洋研究所教授)
1 はじめに
2023年6月、ユネスコ本部において開催された第32回政府間海洋学委員会総会において、筆者が今期の議長に選出されました。任期は2年、2025年に予定されている第33回総会の終了までです。なお、通例2期務めますので、その場合は2027年の総会終了時までとなります。日本人が議長を務めるのは、IOCの60年余の歴史の中で初めてのことです。
その設立には日本も重要な役割を担い、周囲を海に囲まれた日本にとっては重要な国際機関であるIOCですが、世間にはあまり広く知られているとは言えず、先般の議長選出の際も、そのニュースを取り上げた一般紙はなく、ごく少数の業界紙で報道されただけでした。というわけで、議長に選出されたのを機に、IOCの概要や最近の動向等についてより広くお知らせ致したく思います。
2 政府間海洋学委員会(IOC)
IOCは、第11回ユネスコ総会における決議により設立されました。1960年のことです。IOCはユネスコの一部で、運営するための通常予算はユネスコからもたらされますが、「機能的自立性(functional autonomy)」を有する組織と位置づけられています。組織規則(Statute)や手続き規則(Rules of Procedure)はユネスコとは別のものを持っていますし、加盟国もユネスコとは独立です。例えば、2023年夏、数年ぶりにユネスコに復帰した米国ですが、ユネスコから脱退していた期間もIOCには籍を置いていました。
海洋科学に関する国際調整や国際協力の推進が主たる目的となっています。世界中の海はつながっていて海水は流動していますから、ある海域の現象は大なり小なり他の海域と何らかの関係を有しています。そうした現象の理解とそれに基づく適切な海洋の利用のためには、もとより国際協力でことに当たる必要があり、各国の利害等を調整して人類共通の財産たる海洋を保全し活用していく必要があります。海洋に関する国際機関が多数ある中で、国連においてIOCは海洋学に関する専門機関と位置付けられています。
2024年1月現在の加盟国は150。この中には、例えばスイスなど海に面していていない国も含まれています。最上位の意思決定の場として隔年で総会(Assembly)が開催され、その間の年に執行理事会(Executive Council)が行われます。総会開催年にも、総会前日に執行理事会がありますが、これは事業内容に関する議論をする場というよりは、直後に開催される総会の準備会合という性格のものです。
IOCの目的を達成するため、現在は重要目標(High Level Objectives: HLOs)を柱として5つ定めて各種の事業を展開しています。それは、1)健全で持続的な生態系 2)海洋災害に対する効果的な警報 3)気候変動に対する強靭性 4)科学に依拠した海洋経済 5)海洋に関する新たな課題に関する予見 の5つで、これらのもとで様々な具体的事業が進められています。
例えば、もっとも古くから事業の中核の一つとして取り組んでいるものに「津波の警報システムの構築」があります。IOCが設立された1960年は、チリ地震津波が発生した年で、日本含む太平洋沿岸諸国に大きな被害がありました。効果的な警報システムとその国際的な伝達システムが必要であるという認識のもとで、できたばかりのIOCが主導して太平洋津波警報システム(Pacific Tsunami Warning and mitigation System: PTWS)が構築されました。PTWSは1965年までに完成し、その後継続的に改良されつつ現在も運用されています。その後、他の海域にも同様のシステムが必要という声はあったものの、相当な人的および財政的リソースを必要とすることから構築は進みませんでしたが、2004年の暮れにスマトラ沖を震源とする大地震が発生し、それに伴う巨大津波によってインド洋沿岸諸国を中心に20万人以上の犠牲者を出したことを契機に、インド洋を含む他の海域にも津波警報システムが構築されました。現在では、太平洋、インド洋に加え、北東大西洋及び地中海、カリブ海の計4海域に津波警報システムがあります。
上記5つの目標に共通して必要な事業として、「海洋データ・情報交換」と「能力開発」を挙げておきます。これらも、長年にわたってIOCの重要な柱として推進されてきています。前者は、海洋科学の推進とそれに基づく幅広い海洋関連活動の展開のためには、基盤となるデータや情報が必要という共通認識のもとで、そうしたデータや情報を国際的に共有するためのプログラムです。「国際海洋データ・情報交換(International Oceanographic Data and Information Exchange: IODE)」で、1961年に開始され現在まで継続的に進められています。筆者は、2015~2019年の4年間、IODEの共同議長を務めました。後者の「能力開発」もIOCにとっては極めて重要なものです。海洋調査や観測の実施には、高い技術力と資金が必要であることから、世界中の国それぞれが十分な能力を有しているとは言えません。海洋は、そうした能力を保有している海洋先進国だけのものではなく、人類あるいは地球全体の共通財産ですから、各国の海洋に関する幅広い能力を高めていくことがIOCの目標達成には不可欠です。IOCの調整とリーダーシップのもと、日本を含む多くの海洋先進国の協力、支援により、各種の能力開発活動が行われています。
3 国連海洋科学の10年
この項では、IOC関連活動のうち、現在進行中の最も重要なものについて簡単に述べます。それは、「持続可能な開発のための国連海洋科学の10年」というもので(以下、「海洋科学の10年」とします)、2021年から2030年までの10年間、国際的に協力し集中して海洋科学の推進に取り組むことで、持続可能な開発目標(SDGs)のうち海洋に関係するものを強力に推進しようという取り組みです。「海洋科学の10年」はIOCが発案し、ユネスコを通じて、2017年の第72回国連総会に提案され、同総会において2021年からの10年間を「海洋科学の10年」とすることが決議の中で宣言されました。あわせてこの決議の中で、開始に向けてIOCにおいて実施計画を策定するよう求められました。その後のコロナ禍により、計画通りの開始を危ぶむ声もあったようですが、結果的には2020年末の第75回国連総会において開始が決まり、予定通り2021年1月から始まりました。
海洋科学の10年では、7つの社会的目標を定め、その達成のため2030年の目標年に向けて海洋科学を推進することとされています。社会的目標とは、「清浄な海」「健康で強靭な海」「予測可能な海」「安全な海」「持続的生産の海」「透明性のある誰でも使える海」「夢のある魅力的な海」の7つです。2015年に持続的な開発目標(SDGs)が設定され、そのうち14番が「海の豊かさを守ろう(Life below water)」となったことを受け、海洋の現状に関する国際的評価が行われました。その結果、海に関する取り組みは他の目標に比べて大きく遅れ、かつ資金投入も極めて少ないことが指摘されました。この指摘を受け、SDGsでは「誰一人取り残さない(No one left behind)」と標語を掲げつつ、このまま推移すると海洋だけ他の目標群から取り残されかねないという危機感が、IOCを含む海洋関係者に共有されました。そうして企画、提案されたのが「海洋科学の10年」です。現在、同10年は開始から4年目に入り、これから目標年に向けて活動を拡充、加速することが期待されています。
4 IOC議長としての責務
「海洋科学の10年」のさなかの現在、IOC議長としては、その的確な推進が最も重要な責務です。ここで一部ご紹介した以前から行われている数多くの活動の継続的かつ着実な推進ももちろん重要ですが、それらも何らかの形で「海洋科学の10年」の活動に関連していますので、うまくバランスを取ることで全体としてよい方向に向かうよう工夫したいと思います。
ただ、ここのところの国際情勢は流動的で、緊張が高まっている部分もあります。海洋「科学」の推進を旨とするIOCではありますが、国際情勢と全く無関係ではありませんので、それらに留意の上で注意深く事業を進めていきたいと思っています。
他方、IOCの事業にとって厳しいことばかりではなく、2023年のユネスコ総会では、IOCに対する予算配分の増額が決まりました。ユネスコ内において、日本をはじめ多くの加盟国が海洋の重要性、それを進めるIOCの重要性に対する認識を新たにしていただいた結果と思われます。IOC議長として、日本政府代表部の方々のご尽力、関係各国のご理解に心から感謝する次第です。また、2023年夏には7年ぶりに米国がユネスコに復帰しました。これも、ユネスコ本体のみならずIOCにとっても歓迎すべきことです。財務状況の改善を踏まえて、IOC事業全体を的確にリードしていきたいと考えています。
2024年2月末をもって、9年間在籍したVladimir Ryabinin事務局長が退任し、翌3月1日には新たにVidar Helgesen氏が着任しました。長い付き合いで気心の知れたRyabinin事務局長の退任は、私自身としては不安材料ではありますが、新事務局長ともすでに何度か親しく意見交換等しており、新しい体制での事業推進に注力したいと思っています。
IOCの掲げる「One Planet, One Ocean (地球はひとつ、かけがえのない海)」の精神を拠り所として進んでいきたいと思いますので、加納大使以下代表部の皆様をはじめ、関係各位のご支援とご協力をお願いする次第です。